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全てが曖昧だった。 何故だろう。 地面に横たわる父は、瞼を閉じている。 なんでだろう。なんで。 少し考えてみたが答えは見つからなかった。否、見つけることを途中で放棄した。けれどリッド自身その事に 気づかない。気づきたくなった。 皆、嘆いて、泣いて、怒っている様だった。 けれど、リッドの視界には入ってこない。 とうさん? とうさんなんで 声が出ていたのかすら、覚えていない。其れほどに全てが曖昧だった。 それからはぼんやりと、景色が変わっていったようで、気づいたら皆、埋めていた。 何故か動かない父を、父と同じように動かなくなったファラの父を、 父の少し大きめの食器と、自分の食器を準備するのは自分の仕事だった。 独りで、食事をする。 以前は広いと感じたことのなかったこの部屋に鎮座しているテーブルには薄っすらと埃が積もっていた。 毎日この家に帰っているのに、気づかなかった。改めて質素な 必要な物しかない部屋を見回すと、どこもかしこもテーブルと同じように薄っすらと埃を被っているようだった。 以前のように生活していればともここまで汚れることは無い。 同じだと思っていたのに。 何故か酷く息苦しくなった。 食事にとファラの叔母に手渡されたバスケットを適当な所に置いて、汚れたテーブルを拭くために適当な布を探した。 時間はかかったが、探し出した布を水にぬらして絞る。 取りあえず粗方、拭き終わると空腹感を感じて、元よりそのつもりだった食事をしようと、バスケットをテーブルの上に置き、中身を取り出した。 もう冷めてしまったパンとスープ。 あれから、独りになったリッドをなにかと自宅に呼び、世話をしていたのはファラの叔母だった。 ファラの叔母とは以前から面識はあったがそれだけだった。 きっと子供である、まだ自立の出来ないリッドを見兼ねたのだろう。そしてリッドも彼女の気遣いに甘えることしか出来なかった。事実、リッドは独りでは生きていけない。 リッドは冷めたパンとスープを温めようとキッチンに向かったが、途中で足が止まってしまった。 食器を準備するのはリッドの仕事だった。 簡単な料理は出来る。火を起こすことも。しかし、手馴れてはいない。何度かやったことがあるだけだ。 じっと傍で、火を起こす動作を見て、自分も火を起こしたくなって、せがんだ事もしばしばあった。 火は起こしたくない。 ふるふると何かを振り払うように首を振って、食器棚に手を伸ばすと、予想していなかった場所に手が当たった。 次いで耳に大きな音が届いた。 足元で何かが散らばっている。 「あ…、」 散らばった破片が、それが以前何であったかを物語っている。 「ああ…!」 それは父が愛用していた 「……―ッ!」 テーブルを拭く布を探すのに時間が掛かったのは場所がわからなかったからじゃない。 場所なんて覚えてる。今までずっとこの家で生きてきたのだから。 見つけたくなかった。行きたくなかった。壊したくなかった。以前のままにしておきたかった。 火を起こすのは出来る。でも、手馴れてない。リッドが火を起こすことが、日常と化してはいなかったからだ。 火を起こすのは、食事を作るのは、いつだって父がしていた。父が とうさんが 曖昧な記憶。風景。時間。 実感がなかった。地に埋められた父。だんだんと父の姿が見えなくなるのをぼんやりと見ていた。 其れはショックの余り、だったのかもしれない。だけど信じていたかったのだ。 待っていれば扉は開かれると。 (だって父さんは此処に居ろって) 父が長く家を離れていた記憶はリッドにはない。 いつだって待っていれば、朗らかな笑顔で玄関に立ち、自分を呼んで、そう、いつだって帰ってきたのだ。 だから今回もそうなんだと。 いつの間にか途切れていた意識が浮上する。ゆるゆると瞼を上げれば、其処にはばらばらになった、破片があった。 知っていたのだ。命を失ったモノがどうなるのか。いつだったか、父が言っていた。 自分たち猟師はその日その日を生きる必要な分だけ獲物を狩るのだと。 大きな獲物を捕ったとしても、自分たちに必要な分以外はその場に置いていくのだと。それは、他の生物が得るのかもしれないし、 腐敗し、大地に帰り、土の養分となり、新たな命の元になる。 食物連鎖を狂わせることなく、自然と生きる。 失われたものは自然へと還り、同じものは戻らない。そう、あの、曖昧な時間の中。 父に、父に触れた時、動かない父は酷く冷たかったのだ。 そして、それが死である事を本当は知っていた。 しかし、信じたくなかった。 失われたモノはもう戻らない。 散らばった破片に手を伸ばす。視界がぼやけてよく見えなくなっていく。 父の温かな笑顔も霞んで遠くなっていく。あの時のように。 触れた破片は酷く冷たくて、頬に暖かいものが伝った。 もう、とうさんはかえってこない。 |